直江兼続について

直江兼続は、坂戸城主・長尾政景の家臣・樋口兼豊の長子として生まれました。
その後、豊臣政権下で上杉家執政として手腕を磨きました。
実績として、秀吉から異例の米沢三十万石を与えられるなどの高い評価を受けた家臣でした。

直江兼続の容姿的には、
「背が高い」「容姿端麗」「頭脳明晰」「文武両道に秀でた武将」ということもあって、
戦国時代の武将の間からも尊敬される人物でした。


その直江兼続を一言で言い表すと「愛」がキーワードです。
兼続は武将として名高い面もありますが、
兼続の師匠である上杉謙信は「仁義」を非常に重んじていた武将であったため、
兼続はその教えを元に、「仁」つまり「愛民」の精神を信条としていたと考えられています。

兼続の「愛」の一文字は、彼の生涯を通じ、彼の故郷と、
そこに暮らす民へと向けられたということです。
世は戦国時代、他の武将達はこぞって「利」を追求していた時代、
彼のような存在は異彩を放つものでしたが、
他の武将からも尊敬だけでなく圧倒する強さを持っていたと言われています。

つまり、「利を見て、義を聞かざる世の中に、利を捨て義を取る人」それが、直江兼続です。